銚子のシンボル 犬吠埼灯台
リチャード・ヘンリー・ブラントン
スコットランド人土木技師リチャード・ヘンリー・ブラントンは、明治元年(1868)に来日、以後在日8年で28基の灯台と2隻の灯船建設し、日本灯台システムの基礎を作った。
リチャード・ヘンリー・ブラントン(1841-1901) |
1841年12月 | スコットランド・アバディーン州ストーンヘブンで生まれる |
1868年 2月 | 日本政府派遣灯台築造主任技師として採用 |
1868年 8月 | 来日 |
1873年11月 | ブラントン来銚 |
1876年 3月 | 解雇帰国 |
1876年11月 | 英国土木学会において The Japan Lights を報告 |
1901年 4月 | ロンドンにて死去 |
銚子の海と犬吠埼灯台を愛して、2017年に105歳で亡くなった写真家 星野修成さん。ご遺族の了解を得て3点の作品を掲載させていただきます。
犬吠の朝
春潮
月見草と灯台
※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。
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日本の灯台の父
リチャード・ヘンリー・ブラントン
霧笛舎
国の重要文化財
犬吠埼灯台
銚子文化の象徴
銚子市親田町929-25
[ カフェ(ランチ)、パン・特産品販売 ]
焼きたてパン、店内での食事、特産品などをお楽しみください。
銚子市海鹿島町5218-88
[ パン製造・販売 ]
明日は今日より美味しいパンを!